私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち (朝日文庫 ふ 26-1)
〈共感〉を基礎に置くメディアである以上、
少女マンガの書き手‐読み手‐作中人物は皆、
想像の共同体の一員であり、ある感覚を共有している。
「私はここにいていいの?」というよるべなさ、
恋愛に対して抱く祈りにも似た幻想、
性/セクシュアリティに対する逡巡した思い…。
本書では、家族・恋愛・仕事・セクシュアリティ・生殖と
いったトピックが少女マンガにおいていかに〈表象〉され、
いかに〈共感〉されてきたかが、主観‐客観の境界が
混然となった「私たち」の語りで綴られる。
自分自身が抱いてきた恋愛への幻想が
少女マンガによって形成されたものだと気づいた時の衝撃と絶望感。
少女マンガの物語分析を透かして見える、
著者自身が経験してきたよるべなさと恋愛経験。
この主観と客観のあわいの筆致は、
読み手である私自身のよるべなさを喚起し、
寂しさのあまり夜中に流した涙や、
成長を経て強くなったはずの自分の脆さや、
その原動力となった、幼く一図な愛の幻想が
木っ端みじんに傷つけられた経験を呼び覚ます。
自分自身の立ち位置の危うさに気づかされて、
少女マンガに対して「何でこんな夢を見させたの!」と
やり場のない怒りを抱く一方で、
そこに描かれたきらきらした世界を美しく思い、
またまたその一方で、進化した少女マンガが描く
ラディカリズムに度肝を抜かれる。。。
そう、この本を通して感得するものは、
少女マンガの物語、想像の共同体の一員である著者の
分析だけでなく、少女マンガの物語に共感し、
それを現実のものとして生き、悩み、傷つき、
よるべなさを感じ、絶望したり泣きじゃくりたくなる
自分自身の物語なのだ。
自分の限界を引き受けて「深情けという名の地獄のカクテル」を飲み、
新しい家族の在り方を戸惑いながら考え、
誰も「そんな君が大好きだよ」と言ってくれなくたって、
自分自身が世界のならしめていることを感じ、
涙しながらも生きている、私の、私たちの物語。
自分の居場所を見つけたかったら、
自分で自分を癒してあげたかったら、
旅もいいけど、街に出かけるのも素敵だけど、
この本を読んでごらんよ。
そこには、私が、私たちが、いる。
こんなもんかな
マロニエの花咲く 横芝光町立図書...



